艦これアーケード/街道・水路歩き たけやん/ひなたの日記帳

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備前渠用水 備前渠第一樋管頭首工~備前渠樋門(備前渠第三樋管)-利根川堤外水路

 現在の備前渠用水流路
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 備前渠用水は慶長9年(1604年)に開削された農業用水路で400年の歴史を持つ埼玉県最古級の農業用水路です。現在は本庄市山王堂で利根川より取水し、深谷市、熊谷市へ流れ、福川に合流し利根川へと落とされています。途中、御陣馬川や小山川と流路を共有する区間があります。総延長は約23キロメートル、利根川の右岸一帯の約1400ヘクタールの水田へ用水を供給しています。
 当地では、親しみを込めて備前堀や備前渠、備前渠川とも呼ばれています。「備前渠」名前の由来は開削者である伊奈忠次の武家官位である備前守に由来します。「渠」は中国語では人工的に掘削された水路の意味で、日本語の「掘」に相当します。日本語でも暗渠(埋設された水路)などと用いられますね。
 伊奈忠次に由来する水利施設、地名としては、埼玉県内の備前堀川、備前前堀川や備前堤、備前堀(伊奈堀):(茨城県水戸市)、埼玉県北足立郡伊奈町は伊奈忠次に由来します。なお、旧茨城県筑波郡伊奈町(つくばみらい市)は伊奈忠次の次男、忠治が由来です。

 参考:埼玉県に存在する最古級とされる用水と水利施設
 長楽用水
 室町時代(1450年頃)に戸守郷(川島町)の用水路として現在の水路の一部分が開かれたという伝承があります。元禄年間(1690年頃)に本格的に整備されたとされます。

 瓦曽根溜井
 慶長年間(1596年)に着手され、1600年頃に完成。瓦曽根溜井は越谷市の元荒川に設けられたもので、谷古田用水、八条用水、東西葛西用水へ分水。瓦曽根溜井は後に葛西用水へと発展することになります。また、元荒川上流部の末田須賀堰も同時期に建設されています。

 六堰用水
 玉井堰用水、奈良堰用水、大麻生堰用水
 慶長7年(1602年)には熊谷市の荒川左岸に開削されています。
 成田堰用水
 上記3堰に同じく荒川左岸の最下流に位置し、最大の灌漑面積を有しますが、延徳3年(1491年)に忍城主の成田氏によって開削されたとされています。
 上記4堰に荒川右岸に後に開削された御正堰用水と吉見堰用水を加えて六堰用水と称されます。成田堰用水を除いた5堰の開削は全て伊奈忠次によります。江戸初期の用水開発は利根川上流部の埼玉県北西部の熊谷と下流部の南東部の越ヶ谷から当初の用水開発が着手されていますので、広大な灌漑施設の構築や新田開発構想が覗えますね。

 備前渠用水流頭部
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 ①備前渠第一樋管頭首工 埼玉県本庄市山王堂
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 利根川に堰は設けられておらず、自然流入により取水しています。
 冬季で水が少なく、頭首工まで水が届いていませんね。本来は利根川から取水する仕様でしたが、烏川と利根川の乱流地帯ですので流路が変わり、現在は実質、烏川からの取水となっています。
 航空写真図 1974-78/最新
備前渠用水第一頭首工
 備前渠用水の元圦が、③本庄市久々宇(くぐう)から①山王堂に移されたのは昭和5年(1930年)の工事によります。利根川の流路の変遷は甚だしく、大雨で増水する度に元圦から砂礫が流入して水路を埋没させ、取水困難な状態が続いていており、その対策として、流路の変動が比較的少ない山王堂が新たな取水地点として選定されました。元圦の移動に伴い、利根川の堤外地には導水路が新設されました。山王堂の流路の変動が少ないとは言え、40年も経つと利根川と烏川の合流点が砂州により頭首工より下流に移動していますね。
 水流調整(洗堀防止?)構造物 同地
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 頭首工の関連施設と思われますが流路の洗堀防止でしょうか。下流部にはコンクリート製のテトラポットや棒出しなどが設置されていますね。1974-78年の航空写真図では見られなかった河川施設です。
 ②暗渠吐口工 同地
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 ①備前渠第一樋管頭首工からおよそ600m下流まで暗渠で流れ、暗渠吐口工から御陣場川に合流します(御陣場川と共用区間)。ここからおよそ1.7㎞先の④備前渠樋門まで利根川堤外地を流れます。(堤外水路)
 暗渠吐口工から下流部では流路の掘削(浚渫?)が行われていました。非灌漑期で冬季の渇水期である12月あたりは河川改修の最盛期で諸所で工事を見かけます。

 ③備前渠用水分水工と④備前渠樋門(備前渠第三樋管) 本庄市久々宇
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 堤外水路の終点には、分流工が設けられており、御陣場川と備前渠用水を分かちます。写真の右奥は利根川の右岸堤防に設けられた備前渠樋門です。備前渠用水は備前渠樋門(備前渠第三樋管)を経由して利根川の堤外から堤内地へ出ます。備前渠樋門~小山川に至る流路は一級河川に指定されています。(一級河川 備前渠川)
 当初の備前渠用水の元圦はここからおよそ2㎞下流部の本庄市仁手に設けられましたが、明治20年(1887年)に当地に移設され、昭和5年(1930年)まで、この地が備前渠用水の元圦でした。
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