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【艦これアーケード】歴史考察:捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦 スリガオ海峡海戦【史実の確認】

 スリガオ海峡に面したフィリピン・ディナガット・アイランズ州に建設中(2023年11月時点)の庁舎は戦艦の形状ですが、モチーフは山城だそうです。スリガオ海峡は、言わずと知れたスリガオ海峡海戦の激戦地で、山城はこの海峡に眠っています。スクリーンショット 2023-12-03 194523 レイテ沖海戦の主要海戦は時系列順に並べると、シブヤン海海戦、スリガオ海峡海戦、エンガノ岬沖海戦、サマール沖海戦となりますが、捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前編)の最終海域は「スリガオ海峡海戦」でその他の海戦は後編となりそうですのでスリガオ海峡海戦を優先して確認しておきます。

第一遊撃部隊第三部隊出撃スクリーンショット 2023-12-03 194740 主隊の栗田艦隊出撃から8時間半後遅れの10月22日1530、第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)はブルネイを出撃しました。第三部隊の任務は25日黎明時に栗田艦隊と策応してレイテ湾に突入することでした。スリガオ海峡へ向かった艦隊は24日0200、レイテ湾内偵察のため最上の水偵1機を発進させ、同機は0650にレイテ湾上空に到達、戦艦4隻・輸送船80隻を含む艦隊を発見し、偵察結果は栗田艦隊にも通報しています。
 0855、米偵察機が触接しているのを発見、触接機は数を増し20数機に及びます。この偵察機群は第38任務部隊第4群の索敵隊(エンタープライズ、フランクリン所属機)で、約20機が攻撃を開始します。

空襲を受ける扶桑(手前)と最上(奥)スクリーンショット 2023-12-03 194859 この攻撃で扶桑は艦尾に被弾、搭載水偵2機が炎上、時雨も1番砲塔に直撃弾、最上は敵機の機銃掃射を受けて死傷者が発生します。空襲は5分ほどで終わり、更なる空襲に備えて対空警戒を厳とする西村艦隊でしたが、予想に反して敵機の襲来はなく艦隊は順調に進撃を続けました。これは栗田艦隊発見の報を受けたハルゼー大将が機動部隊第4群を北方に移動させ、西村艦隊の対処はキンケイド中将の第77任務部隊に任せることが決定したからです。1400、スルー海東端に到達、栗田艦隊がアメリカ軍の空襲に晒されていることを知った西村中将は1410、第三部隊が順調に進撃している事を打電します。この頃、栗田艦隊はシブヤン海海戦の真っ只中で、西村艦隊に対しての返信はありませんでした(栗田艦隊には1447に着電)。
 索敵機による偵察結果から敵魚雷艇が集結していることを知った西村中将は最上と第四駆逐隊の満潮、朝雲、山雲に日没後に先行して敵魚雷艇を掃討するよう命令、1900に掃討隊が先行を開始、本隊はボボール島沿いにミンダナオ海を進撃しました。スクリーンショット 2023-12-03 195138 栗田艦隊と西村艦隊はほぼ同時にレイテ湾に突入する計画でしたが、栗田艦隊がシブヤン海での空襲により一時反転したことにより突入予定時間が遅れ、同時に突入してアメリカ軍の邀撃戦力を分散するという計画は破綻します。
 24日1900、連合艦隊司令長官より全軍突撃の電信が西村艦隊各艦に届きますが、連合艦隊司令部、栗田艦隊から突入時間の調整については一切示されていませんでした。仮に突入時間の延期を示されたとしても敵制空権下で悠長に待機することが許される戦況ではありません。西村中将は夜戦による艦隊単独でのレイテ湾突入を決断します。
 一方、第77任務部隊のキンケイド中将は西村艦隊の接近を察知し、24日1215、指揮下の全艦艇に夜戦準備を命令、西村艦隊の進軍経路上のレイテ湾南方スリガオ海峡で迎撃態勢を整えます。スクリーンショット 2023-12-03 203417スリガオ海峡突入-魚雷艇群との交戦
 24日2236、索敵中のアメリカ魚雷艇PT131が西村艦隊に触接、僚艇とともに交戦を開始します。2252、時雨が右艦首方向に敵魚雷艇を発見、時雨は照明弾を放ち距離2000mで砲撃を開始します。山城と扶桑も回避行動を取りつつ砲撃を浴びせ、魚雷艇を撃退します。前方を行く掃討隊は、25日0012に魚雷艇4隻を発見、交戦しますがスコールなどで天候が悪く、視界も良くないことから反転して本隊に合流します。スクリーンショット 2023-12-03 210508 間もなくして満潮が魚雷艇群を発見、0200頃に満潮と朝雲が魚雷攻撃を受けますが、魚雷は命中せず両艦は探照灯を照射して迎撃、PTボート2隻(PT-490、PT-491)を撃退し、PT-493を大破(後に沈没)させます。この一連の戦闘で西村艦隊に損害はありませんでした。

駆逐隊との交戦
 0253、駆逐艦3隻が接近してくるのを時雨が発見、0309に照射射撃を開始します。これは第54駆逐連隊東方隊の3隻で、発見した際は魚雷発射後の退避行動中でした。西村艦隊は米駆逐艦の雷撃に気づかず直進を続け、0310、最上は接近する魚雷を発見し回避しましたが前方を航行していた扶桑が右舷中央に被雷します。扶桑は右舷に傾斜し速度が低下し落伍し始めます。電源系統を喪失したためか通信が途絶した扶桑を最上が追い越して山城に続行したため、山城は扶桑の落伍に気づきませんでした。扶桑はその後大爆発を起こし、船体が2つに折れたまま炎上しながら漂流、後続していた志摩艦隊は、炎上する扶桑を目撃しています(2隻炎上と誤認)。アメリカ側の資料では艦首は0420頃、艦尾はそれから1時間以内にそれぞれ沈んだと記録されています。
 0313、今度はレイテ島側から敵駆逐艦が近づくのを時雨が発見、1分後に山雲が接近する雷跡を発見します。西村艦隊は右へ一斉回頭、雷撃を回避すると針路を元に戻しますが、0320、満潮、山雲が相次いで被雷、山雲は轟沈、満潮も程なく沈没しました。続いて朝雲が1番砲塔直下に被雷して艦首を切断、山城も左舷後部に被雷、5・6番砲塔に爆発の危険が生じて弾薬庫に注水が行われます。この攻撃は分離して行動していた第54駆逐連隊西方隊のマンセン、マクダーマットの2隻によるものでした。

西村艦隊の壊滅
 戦力の過半を瞬く間に失った西村艦隊に対し、米駆逐隊の襲撃は続きます。レーダーで西村艦隊を捕捉した第24駆逐連隊の6隻が襲撃を開始、時雨と山城に雷撃し、山城に1発命中します。0340、西村中将より「我、魚雷攻撃を受く、各艦は我を顧みず前進し、敵を攻撃すべし」と命令を発します。これが西村中将の発した最後の命令となりました。

照明弾に照らされる砲撃戦時の山城スクリーンショット 2023-12-03 210558 0349、米駆逐艦部隊に撤退命令が発令、0351、丁字陣形で迎撃態勢を整えていた米戦艦・巡洋艦隊は距離13500mでレーダー照射による砲撃を開始します。大口径弾300発、小口径弾4,000発の砲撃を打ち込まれた西村艦隊には命中弾が相次ぎ、まず山城に砲撃が集中して艦橋下に火災が発生、3・4番砲塔は使用不可となり、1・2番砲塔のみで応戦しましたが、駆逐艦からの雷撃を右舷機械室付近に受けて速力が低下、直後に4本目の魚雷を受けて徐々に傾斜します。その後、火薬庫に引火し大爆発を起こし、総員退去が発令されますが、その2分後の0419に艦尾より転覆して沈没しました。
 山城が被雷して傾斜しはじめると、最上に砲撃が集中し、3番砲塔と中央に被弾し火災が発生、0355に魚雷4本を発射して左に回頭、南方へ避退を開始します。0402頃、艦橋に2発、防空指揮所に1発が命中し最上の艦長以下の艦橋要員が全員戦死、旗甲板の信号員長他4名のみが健在でした。信号員長が即座に操舵を人力に切り替えて最上は南下を続けます。最後尾の時雨は炎上する艦隊を見て既に全滅したと判断、反転離脱を開始しました。その間、命中弾を受けていますがこれは不発でした。最上と時雨が離脱を始めた頃、雷撃のため突撃した米駆逐隊を味方軽巡部隊が誤射、レーダーで敵味方の判別が困難となったため、0413に射撃が控置されます。大破した最上はこの隙を突いて米艦隊の射程圏からの離脱に成功しました。

志摩艦隊の突入断念
 西村艦隊に後続して突入する筈だった志摩艦隊は、西村艦隊から2時間遅れの0300過ぎに海峡入口に到達しました。
0320、魚雷艇隊の攻撃を受け阿武隈が被雷、敵魚雷艇を撃退後、阿武隈を残して志摩艦隊は戦闘序列で突入を開始。0400頃には炎上する扶桑を発見します。スクリーンショット 2023-12-03 212243 志摩艦隊はなおも北上を続け、0410には右前方に炎上する艦(最上)を煙幕の中で確認、炎上停止したと思っていた艦が低速で動いていたことに那智が気づかなかったため、那智の艦首が最上の右舷前部に突っ込む形で衝突、那智は艦首を大破して18ノット以上での航行が不能となります。敵情不明なこともあり、志摩艦隊は突入を断念、0425に関係各隊に宛て「当隊攻撃終了、一応戦場離脱後図を策す」と打電します。

各部隊・各艦のその後
西村艦隊
時雨
 時雨は北上する志摩艦隊と遭遇し、志摩艦隊に合流するよう指示されましたが、舵が故障していたため志摩艦隊とは合流せず単独で南下を続け、単独コロン湾を目指すも空襲を受けブルネイに転針、無事帰投しています。
朝雲
 艦首を切断されて航行不能となっていた朝雲は12ノットでの航行が可能となり南下撤退を開始しますが、0520頃よりアメリカ艦隊に捕捉され、5発被弾して速度が9ノットまで低下、接近する米艦隊の集中砲撃を受けて沈没しました
最上
 最上は志摩艦隊の曙が護衛に当たりコロン湾へ避退しますが、0727より空襲を受け、0830には航行不能、1047に総員退去命令が下ります。曙が危険を顧みず船体を最上に横付けして乗員の救助に当たり、最上は1230に曙の雷撃で処分されます。
志摩艦隊
阿武隈
 0533、応急修理で航行可能となった阿武隈は志摩艦隊と合流、阿武隈座乗の第一水雷戦隊司令部は霞へ移乗、阿武隈は護衛の潮を伴い26日にミンダナオ島ダビタンで応急修理を済ませ、コロン湾に向かう途上の1128に米陸軍機の空襲を受け直撃弾3、至近弾4を受けて機関停止、魚雷の誘爆も発生し総員退艦が発令、まもなく沈没しました。生存者は潮に収容されています。
志摩艦隊本隊
 那智・足柄・霞・不知火は何度か空襲を受けたもののほぼ無傷であり、その間サマール沖海戦で損傷して退避行動中の熊野を発見、霞と足柄が救援に当たります。那智・不知火は26日1400、霞・足柄・熊野は同日夕刻にコロン湾に無事到着しました。

オルモック輸送-第十六戦隊壊滅
 第二遊撃部隊への編入を受けマニラに入港した第十六戦隊ですが、志摩艦隊ははマニラに寄港せずコロン湾に向かったため、合流はできませんでした。南西方面艦隊は手の空いている第十六戦隊に陸軍将兵のレイテ島輸送作戦の護衛を命じ、大破した青葉を除く鬼怒、浦波の2隻に出動を命じます。スクリーンショット 2023-12-03 213107 第十六戦隊は旗艦を鬼怒に変更し出撃、輸送船団と共に25日1545にミンダナオ島カガヤンに到着して陸軍将兵を乗船させ、1730には出港してレイテ島オルモック湾に向かいます。26日0400にオルモック港に到達し揚陸、0500には鬼怒と浦波が先発して出港しコロン湾に向かいますが、1020、パナイ島とマスバテ島の間に達した頃から第77任務部隊の護衛空母艦載機による攻撃が始まります。
 浦波は大破し、1130、総員退去、1152に沈没。鬼怒も14時過ぎには航行不能となり、救援要請を打電、1720にパナイ島北東で沈没します。なお、両艦の生存者は後続していた輸送艦第9号と10号により救助されています。
 第十六戦隊司令官からの救援要請を受けた連合艦隊では26日1655、第二遊撃部隊に鬼怒曳航艦の派遣を指示します。同日日没後、不知火が鬼怒の救助に向かいますが、鬼怒は既に沈没しており、不知火の出撃は空振りに終わり同艦は帰投します。帰途の27日朝、不知火は米艦載機の攻撃を受け沈没、生存者はいませんでした。
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