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【艦これアーケード】歴史考察:捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇) レイテ沖海戦 開戦【史実の確認】

 マリアナ沖海戦の大敗により絶対国防j圏が崩壊、大本営は本土及び南西諸島、台湾、フィリピンを最後の防衛線と定めます。捷号作戦
 昭和19年(1944年)10月10日から12日にかけて米機動部隊(第38任務部隊)が南西諸島及び台湾を空襲、これを陸海軍基地航空隊が迎撃、空母11隻撃沈ほかの空前の戦果を発表します。台湾沖航空戦
 しかしながら、これは誤認戦果で300機を超える航空機を損耗しながらも巡洋艦2隻を大破、その他軽微な損傷を与えたのみでした。10月16日に索敵機から台湾沖で空母7隻を含む米機動部隊発見の報があり、戦果誤認が明らかになりますが、陸軍に伝達される事は無く、翌17日には第77任務部隊の援護下、米軍の比島攻略部隊がレイテ島に上陸します。これを受けて捷一号作戦が発動されました。

レイテ沖海戦 昭和19年(1944年)10月23日~10月26日スクリーンショット 2023-11-15 174636 捷号作戦の中核戦力は本来は基地航空部隊(第五・第六基地航空部隊)でしたが、台湾沖航空戦で殆どの戦力を損耗していました。作戦の根幹が既に崩壊しているにも係わらず、連合艦隊は殆ど作戦変更することなく捷一号作戦を発令したため、初戦の基地航空部隊による敵機動部隊の攻撃は失敗し、軽空母プリンストンを撃沈、神風特別攻撃隊により護衛空母セント・ローを撃沈したのみでした。スクリーンショット 2023-11-16 061430機動部隊本隊(小沢艦隊)
 敵機動部隊を北方に誘致し基地航空部隊と共にこれを撃滅する役目を負った機動部隊本隊は、台湾沖航空戦に航空隊を派遣しており、捷一号作戦発動までにそれらの航空隊が戻っていませんでした。このため、運用予定の半数にも満たない100機余の航空機しか準備できず、殆ど囮のような部隊編成となりました。

第一遊撃部隊
 ブルネイでは燃料が欠乏し第一遊撃部隊に対する燃料補給が遅れ、上陸地点への突入期日(X日)の22日は24日(後に25日)に遅れると見積もられました。このため、部隊を二分し、本隊(栗田艦隊)は先発してパラワン水道を進撃、足の遅い低速戦艦部隊(西村艦隊)は後発で最短経路のスリガオ海峡を通過してレイテ湾を目指す事になりました。

第二遊撃部隊(志摩艦隊)
 元々は機動部隊本隊の前衛として運用される予定でしたが、台湾沖航空戦の残敵掃討に出撃させたため機動部隊本隊に合流することができず、新たな役割も二転三転し、結局レイテ湾へ突入することになりますが、南西方面部隊の指揮下のままとされたため、同じくレイテ湾に突入する第一遊撃部隊本隊や同第三部隊と連携がとれないまま別個での進軍となります。スクリーンショット 2023-11-15 175229 戦力差は歴然としていますが、第七艦隊(第77任務部隊)は上陸作戦指揮官のマッカーサー陸軍大将の指揮下であるのに対して、第三艦隊(第38任務部隊)は、太平洋艦隊司令長官のミニッツ海軍大将指揮下であり、その任務は第七艦隊の支援よりも日本艦隊の撃滅が優先されます。大統領選の思惑や陸海軍の対立などにより両艦隊の連携は十分とは言えず、小沢艦隊が第38任務部隊を北東に誘致できれば、遊撃部隊のレイテ突入の好機となります。
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