艦これアーケード/街道・水路歩き たけやん/ひなたの日記帳

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【佃島 住吉神社】早朝の都内散策 石川島・佃島について【東京都中央区】

 今週末は3連休となりましたが、
●交通渋滞・観光地の混雑
●記録的猛暑
 などがネックとなり遠出する気にはなりませんね。これらの問題を回避すべくプチ旅行(都内散策)を敢行です。
 
早朝の首都高スクリーンショット (10082) 早朝なら日中に比べれば涼しいですし、道路も観光地も空いています。コインパーキングも夜間料金なので1時間100円で利用できたりしますので早起きさえ苦にしなければお勧めです。

東京都中央区佃スクリーンショット (10070) アニメ「江戸前エルフ」で古い街並みとタワマンの融合した景色がキャッチ―でしたので佃島を散策して来ました。「3月のライオン」も佃島が舞台ですし、「こち亀」の両津勘吉の実家も当地の佃煮屋でしたね。スクリーンショット (10071) 江戸時代は月島以南は存在しませんでした。このため、江戸前エルフでは創建400年の高耳神社は月島に遷座したという事になっています。
スクリーンショット (10072) 月島以南の埋立造成は明治以降になります。ざっと一覧にすると下表のようになります、スクリーンショット (10073) 江戸初期まで石川島は三国島(みこくしま)と呼ばれていたようですが、石川八左衛門正次が拝領して屋敷を構えたため「石川島」と呼ばれるようになりました。石川八左衛門正次は、「船手頭」、「御船奉行」という役職にあり、幕府用船の運行管理を統括していました。このため、石川島は江戸湊の防衛機能を有していたと考えられます。
 佃島は、正保元年(1644)に摂津から来た漁夫たちが浅瀬を埋め立てて漁師町としました。この島は故郷である摂津国佃村の名をとって「佃」と名付けられました。島の名前は佃島、漁師町は佃村と呼称されています。鎮守である住吉神社は息長足姫命と東照御親命(徳川家康の霊)の分霊および故郷の住吉社(現・田蓑神社)の分霊を祀っています。スクリーンショット (10074) 徳川家康との縁
 天正年間(1573- 1592年)に家康が上洛し、摂津国西成郡佃村にある住吉神社に参詣した際、佃村と大和田村の漁民が神崎川に渡し船を出して家康一行を運び、白魚などを献上しました。これを契機に以後、両村の漁民は家康から西国海上隠密の任や軍船や魚の調達などを行い、大阪の陣で特に功績がありました。このため、家康は褒賞として両村の漁民に対して全国での漁業権を与えています。家康の天正18年(1590年)の関東移封の際には、佃村および大和田村の漁夫33人と神主・平岡権大夫好次が江戸に移り、江戸鉄砲洲向かいにある百間(約180m)四方の干潟を幕府から下賜された漁夫らがこれを埋め立てて築島し、永住することになります。
 住吉神社鳥居の隣にある幟を立てる巨大な抱木(だき)が目に付きます。木目の具合からかなりの年代物のようです。スクリーンショット (10075) 住吉例大祭(3年に1度の本祭り)では、佃島の中に6本の大幟が建てられるそうで、高さ18メートルにも及ぶ大幟は寛政10年(1798年)に幕府から建てることを許されたと伝えられています。幟の柱と抱木は普段は佃川支川(佃堀:白枠の掘削部)に埋められており、祭りの度に掘り出されます。
 今年は本祭りの年で8月4・5・6・7の4日間の開催だそうです。
6日 大祭式
7日 御神楽奉納
 幟は是非見てみたいので、当日また早起きしてみるつもりです。
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