艦これアーケード/街道・水路歩き たけやん/ひなたの日記帳

ゲームプレイ&探索記録と考察を少々

【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 流山村⑥【加村陣屋の対応-救援要請③大枝村】

越ヶ谷宿本陣・脇本陣跡 埼玉県越谷市大沢スクリーンショット (816) 加村陣屋の田中藩士が新政府軍に救援を求めて越ヶ谷宿に到着した際には、既に新政府軍は越ヶ谷宿を出発していました。スクリーンショット (906) 新政府軍は、慶応4年(1868年)4月2日に宇都宮城を目指して千住宿を出発し、同日越ヶ谷宿に着陣、翌3日、古河宿に向け出発しています。加村陣屋の使者は新政府軍を追って日光道中を北上します。

奥州古道の道標 越谷市北越谷スクリーンショット (910) 旧大房村の元荒川左岸堤防上に鎮座しています。右端の道標付き青面金剛文字塔には「右 ぢおんじ 乃じま 道」と記されています。その隣の2基の石碑は墓石で、基台部がコンクリートに覆われていますので、移設されてきたもののようです。真ん中の墓石は「法印円心不浄位」(法印:僧位)とありますので僧侶の墓石、左端の墓石には「○○信士 □□信女」 とありますので、下士か庶民の墓石のようです。スクリーンショット (909) 元荒川河川堤防天端が奥州古道で堤防下の道が日光道中ですので、この分岐点に道標付きの青面金剛文字塔は鎮座していたのでしょう。この地点は元荒川が大きく湾曲し、入江状になっており、かつては遊水地として機能していました。スクリーンショット (916) 現在は河川堤防として管理されていませんが、遊水地としての周囲提の痕跡が諸所に残ります。元荒川左岸周囲提(緑色)上を奥州古道が通っていました。往時の遊水地は砂州・砂丘が形成され、畑地、桃・梅など果樹園に利用されていました。対岸の南荻島の字は出津で、橋梁や公園名にも残りますが、遊水地に由来する地名です。

宮内庁埼玉鴨場 越谷市大林スクリーンショット (918) 明治41年(1908年)に浜離宮(東京都港区)の代替地として竣工した鴨場で、御猟場とも呼ばれています。上流の越谷梅林公園は、越谷市に下賜された敷地です。治水地形分類図によれば、敷地内に周囲提が存在します。猟の様子を動画で見た事がありますが、飼い慣らされた合鴨を囮にして狭い水路に野鴨を誘導し、大きなタモ網で文字通り「一網打尽」にしていました。宮中では刃物や銃砲は禁忌ですので、このような手法で狩りを行うのでしょう。古式狩猟法を国賓などに披露する施設で一般公開は警備上の理由から行われていませんが、鳥類標識調査に協力していたりもします。

元荒川旧流路スクリーンショット (920) 治水対策として宝永年間(1710年頃)に袋山一帯の流路が直線化されています。この元荒川左岸沿いに日光道中は通っています。

 この元荒川旧流路は個別に辿っています。 ※記事作成中

下間久里香取神社 越谷市下間久里スクリーンショット (922) 下間久里の獅子舞は、雨下無双角兵衛流とも呼ばれ、埼玉県東部及び千葉県西部の獅子舞行事の源流とされ、現在でも下間久里獅子舞連中によって保存・継承されています。スクリーンショット (924) この辺りの日光道中には旧元荒川堤防の高まりの痕跡が見られ、西側の越谷市立北中学校の住所は袋山ですので間を流れる排水路は元荒川旧河道を利用したものでしょう。

陸橋入口交差点 越谷市千間台東スクリーンショット (932) この先、国道4号線と合流します。左折して陸橋を渡った先辺りが元荒川旧流路の北端の湾曲点になります。往時の上間久里村ですが、粕壁宿と越ヶ谷宿の中間に位置し、立て場があり八軒茶屋と呼ばれていました。右手(東)には奥州古道のルートが自然堤防間の後背湿地帯を最短距離で横断していました。

戸井橋 越谷市千間台東-越谷市大字大泊スクリーンショット (937) 新方川(千間堀)に架かる日光道中の橋です。日光道中東側を会之堀川が流れます。この辺りの日光道中は元荒川と大落古利根川の自然堤防の後背湿地帯を通りますので排水のために街道沿いに掘削されていますね。

武里駅入口交差点 春日部市大枝スクリーンショット (933) 野田から岩槻に至る街道(現・千葉県道・埼玉県道80号野田岩槻線)と交差しますが、この辺りからの会之堀川の流路は古利根川の支線の旧流路となります。

武里駅入口交差点付近の会之堀川スクリーンショット (935) このあたりから上流部は古利根川旧流路となり、日光道中を交差して西から流れて来ます。この流路の右岸自然堤防上を奥州古道が通っており、粕壁宿に至ります。スクリーンショット (941) 対する日光道中は会之堀川を渡って大落古利根川右岸の自然堤防を通って粕壁宿に至ります。なお、千葉県道・埼玉県道80号野田岩槻線沿いに東に向かう旧利根川河道は普通河川沼田落しとして利用されていますね。

 新政府軍を追うのであれば日光道中を進むのが自然とは思いますが、奥州古道で粕壁宿に至るルートも辿ってみる予定です。


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