艦これアーケード/街道・水路歩き たけやん/ひなたの日記帳

ゲームプレイ&探索記録と考察を少々

【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 流山村④【加村陣屋の対応-救援要請①】

鎮撫隊流山布陣
 慶応4年(1868年)4月1日後夜半に五兵衛新田を出発した近藤ら甲陽鎮撫隊ですが、早朝には丹後の渡しから流山に到着、旅装を解くと取り急ぎ布陣を整えます。2021-07-17 (9) 飛地山に野砲を据え、流山村の中心部に本陣を布いた幕府鎮撫隊の出現に、隣の田中藩加村陣屋の藩士たちは大いに驚きます。

加村陣屋の対応
 甲陽鎮撫隊の到着した4月2日には、加村陣屋から救援要請の使者が新政府軍に対して送られています。既に新政府軍の宇都宮への援軍派遣の先触れがあったようで、板橋の東山道軍本営ではなく日光道中を宇都宮へ向け北進中の先遣隊に救援を求めました。田中藩の使者は新政府軍の到着を待ち受けるべく越ヶ谷宿に向かいます。2021-08-12 (3) 加村陣屋から矢河原の渡し経由で越ヶ谷宿に向かいます。

※実際に道筋を辿り、見て感じた事を記事にするのが本シリーズの趣旨ですが、新型コロナウィルスの感染爆発と猛暑のため外出が憚れる時勢ですので過去の水路巡りなどの画像を流用して記事を作成しています。水路視点での撮影が多い事をご承知おき下さい。折を見て道筋を辿る予定です。

矢河原(やっから)の渡し 千葉県流山市加6丁目2021-08-09 (11) 【やっから】の「や」とは土地の方言の「葦」の事で、【葦の河原】という意になります。

前間の渡し 埼玉県三郷市田中新田2021-08-11 (2) 矢河原の渡しは、加村と対岸の前間(ぜんま)村を結ぶ渡し場で、「加村の渡し」、「前間(ぜんま)の渡し」とも呼ばれていました。渡った先は田中新田ですが、当時は庄内古川が江戸川に並行して流れていて葦原が広がっており、この庄内古川を渡った先が前間村となります。渡しから葦原を横断する道は成田道と呼ばれます。2021-08-12 (2) 成田道からは松伏道から新道、もしくは越ヶ谷道を通り、かごの渡しから越ヶ谷宿に至ったものと推察します。

松伏道 三郷市小谷堀2021-08-13 (2)新田用水路2021-08-13 (3) 松伏道は概ね新田用水路に沿って建設されています。

二郷半領について2021-08-26 (2) 二郷半領は基幹排水路である大場川左岸の「新田」と右岸の「本田」に区分されており、新田用水路は二郷半領の江戸川右岸地域の灌漑を目的に整備された用水路で、寛永年間(1624-1645年)に二郷半領本田用水路(現・二郷半領用水路)と共に二郷半領新田用水路として開削され、松伏溜井(大落古利根川)より取水し、鍋小路用水路を経て導水されていました。松伏道は新田用水路の補修作業用路としての役割を果たしていました。

三輪野江小学校前 吉川市加藤2021-08-20 (2) この追分を左に進むと越ヶ谷宿に至る新道です。新田用水路は右の現・県道21号三郷松伏線沿いに流れていますが、往時は庄内古川が流れていましたので、この河川右岸沿いの路でした。

 新田用水路について
中川/大落古利根川合流点 北葛飾郡松伏町下赤岩2021-08-20 (4) 大正~昭和初期に行われた中川改修事業における松伏町下赤岩の庄内古川河道変更に伴い、本田、新田両用水路は松伏溜井から切り離され江戸川から取水される事となります。その後、平成期に行われた利根中央事業により江戸川からの取水を廃止し、両用水路は共に再度松伏溜井からの取水を行う様になり、現在に至っています。

新道(中井橋・大場川) 吉川市中井2021-08-26 (3) 西の二郷半領用水から大場川まで真っ直ぐ東へ引かれた水路沿いに通る道が新道です。

新道橋/二郷半領用水 吉川市平沼2021-08-27 (3)2021-08-27 (2) 二郷半領用水と並行して木売落が流れます。2021-08-26 (8) 対する越ヶ谷道ですが、古利根川の氾濫による自然堤防の形成具合から、水の流れに対して斜め(北西)に通り水流を受け流す形になっています。新道のような水の流れに対して水平直角な構成は効率的な反面、水路(道路)が堤防となり、上流部に水が滞留するため係争の元になりました。この水路(新道)の建設時期は現状分かりませんが、大場川という基幹排水路の整備とセットでの新道の構築でしょう。

越ヶ谷(流山)道 吉川市富新田2021-08-12 (5) 越ヶ谷道は大場川沿いに北上してから右岸に渡り、自然堤防上に集住する本田の村々の里道を経由して平沼村に至ります。近年の土地改良事業により、このような道路は改修され、四角四面な水田地帯となっているケースが多いので割と貴重な道路ですね。

平沼の丁字路 吉川市平沼2021-08-28 (10) 県道67号(葛飾吉川松伏線)は、【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 東京流山道【戸ヶ崎村-】で慈音寺(慈恩寺)道と呼ばれていた道です。丁字路ですが、この先に越ヶ谷と粕壁に至る道の丁字路があります。

吉川交番前交差点 吉川市平沼/吉川2021-08-28 (13) かごの渡しの古利根川左岸に位置し、平沼村と吉川村の境界となる交差点です。越ヶ谷宿と松伏経由で粕壁宿に至る道の追分ですが、往時は丁字路(鍵の手状)でした。

吉川橋・中川/元荒川(かごの渡し) 吉川市平沼/越谷市東町2021-08-28 (14) 吉川橋の掛かる河川が中川(古利根川)で、往時はこの位置に渡し場がありました。現在の河川名は、改定河川法により基本的には源流から河口もしくは合流点まで同一の名称で統一されており中川ですが、往時の中川は江戸での呼称(江戸川と隅田川の間を流れる事に由来)です。厳密には小合溜井(現・大場川/中川合流点付近)より下流部の呼称となります。対岸に渡ると八條領の南百村となります。







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