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【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程【下妻道(大曾根-中央交番:中番場)】

境橋 葛西用水PA140099.jpg 前回:【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程【下妻道(六町)-(大曾根)】はここまででしたが、少し巻き戻ります。PA140097.jpgPA240049.jpg 大曽根八幡神社の看板が見えます。

一の鳥居PA240048.jpgPA240046 (2) 奉納日、奉納者の名が刻まれています。天保十五甲辰年十一月(1844年)、森川伊豆守源俊朝とあります。旗本で「旧国名守」名乗りは大身の旗本です。

光林山 福寿院PA240050.jpg 鳥居を潜って先に進むと福寿院があります。福寿院の創建年代は不詳ですが、当寺本尊の阿弥陀如来は、森川氏の家人根塚善左衛門定武が奉納したものと云い、江戸時代前期には創建していたものと推定できます。

二の鳥居、三の鳥居PA240055.jpg 社殿側から下妻道方向を撮影していますので手前が三の鳥居です。二の鳥居は、宝暦十一年(1761年)に浅田政臣が奉納、三の鳥居は文化六年(1809年)に総氏子らが奉納しています。

大曽根八幡神社 拝殿PA240056.jpg  新編武蔵風土記稿:大曽根村・八幡社より
「村の鎮守なり、福壽院持、土人の口碑に、昔は末社の稲荷を以て鎮守とせしが、元亀二年甲冑せし八幡の像を勧請して鎮守とせり。其後延宝二年地頭森川摂津守重房、新たに束帯の八幡を勧請して、元の像は福壽院に安ずといふ。末社。稲荷、天神。」
 元々は稲荷神を祀っていた当社ですが、元亀二年(1571年)に鎧武者姿の八幡像を勧請して八幡神社となり、延宝二年(1674年)に領主の森川摂津守重房が束帯(正装:平安装束)姿の八幡像を勧請したという事です。重房は荒廃した御社殿を再興して氏神とし、五石の黒印状(領地に対する公文書)が発給されており、都合五反歩の社領を有していました。祭礼の折りには森川家から代参者が遣わされ祭典が執り行われたそうです。

 旗本森川氏とは?
旧高旧領取調帳(版籍奉還後の石高調査記録)から「森川織部」を抽出2020-10-25 (21) 知行地は四〇〇〇石を越えます。武蔵、下総、上総、常陸、上野に知行地があるので「森川織部」でヒットしない知行地もありますね。なお、大曾根村の石高はおよそ六〇〇石で残り一〇石ほどは幕府領(代官佐々井半十郎支配所)となっています。

旗本 森川下総守重名
 譜代大名 森川 重俊(下総生実藩の初代藩主、老中)の次男
 重名は寛永五年(1628年)に将軍家光に拝謁し小姓組番、書院番を務め、寛永十一年に常陸国信太郡で五〇〇石を与えられたのち、書院番頭から小姓組番頭へ進み、寛文二年(1662年)には御側となり、三〇〇〇石を領しています。寛文四年には庭普請の奉行を務め、同年六月に下総国岡田郡内で三〇〇〇石を加増され六〇〇〇石となっています。この森川氏が当地の領主ですが、およそ5300騎の旗本のうち、知行地石高第35位になります。

大原(だいばら)PA240061.jpg 大原北部は区画整理により大曾根に住所変更されてしまいましたが、バス停や小学校の校名にその名が残ります。ここは、下妻道の宿場だったそうですが、現在にその面影は残っていませんね。2020-10-29 (2) 迅速測図を見る限りでは明治初頭においても宿場町といった風ではありませんね。

なお、大原村は、
森川織部知行 256石
森川主税(旗本森川氏の分家)知行 41石
代官・佐々井半十郎支配所 3石
の相給となっています。

境橋 葛西用水PA140099.jpg 巻き戻り終わりです。

円照寺PA240068.jpg大原山 長宗院 円照寺PA240062.jpg 円照寺の創建年代は不詳ですが、八潮市史によると承応年間(1652-1655)に開創したと云います。

大原稲荷神社PA240064.jpg 大原稲荷神社の創建年代は不詳ですが、大原村(旧下馬場村)の鎮守社であったと云い、明治4年には村社に列格していました。

治水地形分類図 大原治水地形分類図 大原 当地は古綾瀬川の沖積地に位置し、地名は広大な徴高地をなす地形に由来します。古くは馬場村が上馬場、中馬場、下馬場村に分村し、下馬場村が大原村と改称しました。寛永年間(1624-1644)までは宿場として栄えましたが、日光道中が拓かれ、草加宿が開設されると、草加宿と下総松戸宿、千住宿、八条宿への馬継場となったと云います。

歌川広重 東海道五拾三次
 藤枝 人馬継立hiroshige035_main.jpg 街道を輸送される荷物は問屋場において馬と人足を変えてリレー方式で輸送されていました。人足の数を点検したり、馬の背に荷物を積み替えたり、早朝の慌ただしい宿駅の様子が描かれています。
 紋付袴姿の武士と帳簿を持った役人が人荷の引継ぎの打合せを行っていますね。打合せの合間に人足や馬たちは寛いでいます。

 下妻道の千住宿と八条宿の中間地点が大原となります。大原と各宿場 草加宿から約4㎞(1里)で、千住宿、八条宿、松戸宿から約8㎞(2里)の距離ですので、人馬継立には丁度良かったのでしょうね。

中央交番前 八潮市中央2丁目PA240071.jpgPA240069.jpg 昭和57年(1982年)の区画整理事業完成により、住所が中央に改められましたが、以前は中馬場(なかばんば)でした。 中央○丁目では、区画整理により、旧街道と旧村名は消滅してしまい、街道歩きの難所となっています。下妻道は東へ向かい、中川(古利根川)の河川堤防上を通っているのですが、旧道は消滅しています。2020-10-29 (3) 迅速測図の十字線は現在の「草加警察署 八潮中央交番」の位置ですが、往時の交差点と同じ場所に建っています。
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