艦これアーケード/街道・水路歩き たけやん/ひなたの日記帳

ゲームプレイ&探索記録と考察を少々

赤山領について - 伊奈忠治の領地開発⑨綾瀬川 綾瀬新橋-綾瀬川橋

綾瀬新橋(左岸下流側) 埼玉県越谷市新川町/川口市東川口 新綾瀬橋より下ると右岸は、かつての藤兵衛新田となります。藤兵衛新田は伊奈忠治の所領であった赤山領となります。 これ以降、綾瀬川右岸はかつての足立郡赤山領となります。大沼公園 川口市藤兵衛新田 大沼公園の大沼とは現在の綾瀬川右岸に所在した大きな沼沢地帯に由来するものです。 このあたりは、野鳥や植物、昆虫などの観察園となっていますが、かつては中...

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赤山領について - 伊奈忠治の領地開発⑧綾瀬川 佐藤橋-綾瀬新橋

綾瀬川 佐藤橋より上流側を撮影 埼玉県川口市東川口/越谷市新川町 かつては綾瀬川右岸(左手)に銀蔵(戸塚)河岸があり、米、麦、ハス等を取り扱っていました。 佐藤稲荷神社 川口市東川口 佐藤稲荷神社は、戸塚村の村組の一つの佐藤組の鎮守です。佐藤橋、佐藤堀もこの村組の佐藤に由来します。 綾瀬川左岸の越巻村には、越巻河岸がありました。佐藤橋(綾瀬川)と越巻橋(末田落し) 左岸下流側から撮影 越谷市新川町...

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御領(幕府領)の検地・年貢割付などについて

御領で行われた検地について天正御前帳(太閤検地) 豊臣秀吉により行われた太閤検地により、土地に対する重層的な支配や利権がほぼ解消され、土地の権利者(納税者)が確定します。年貢は納税高から、見込生産量高である石高で計られることとなりました。石高を村落全体で集計した村高に応じた額が村の年貢量とされ、年貢納入は村落が一括納入の義務を負う村請の形態が採用されました。北条征伐後、関東に移封された徳川家康は代...

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赤山領について - 伊奈忠治の領地開発⑦綾瀬川 美園北橋-佐藤橋

美園北橋 さいたま市岩槻区美園東/さいたま市緑区美園 この付近は、浦和美園駅周辺の土地区画整理事業により市街地として開発が進められいますが、併せて治水や環境に関わる施設も建設されています。浦岩橋(上流側) さいたま市緑区美園/さいたま市岩槻区美園東 国道463号線(新道)に架かる橋ですが、かつては渡し場があり、右岸の下野田河岸から里芋などを出荷していました。 右岸(左手)の放水工は、綾瀬川放流口で、浄...

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赤山領について - 伊奈忠治の領地開発⑥綾瀬川 上戸井橋-美園北橋

上戸井橋(左岸下流側)、天久保用水分流伏越工 埼玉県さいたま市岩槻区笹久保新田/さいたま市緑区高畑 天久保用水から分水された用水の伏越工があります。埼玉県営元荒川・支派川改修事業(大正8年~昭和12年)による綾瀬川河川改修以前はこの位置に戸井橋が架かっていました。伏越工もその際に改修されたものでしょう。天久保坂 さいたま市緑区上野田/寺山 天久保坂は、日光御成道の大門宿と岩槻城下の間にある坂で、かつて...

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赤山領について - 伊奈忠治の領地開発⑥綾瀬川 古簀子橋-上戸井橋

古簀子橋 埼玉県さいたま市見沼区宮ヶ谷塔 古簀子橋は日光御成道の深作川に架かる橋ですが、綾瀬川と深作川の合流点付近に簀子(すのこ)河岸がありました。大宮台地岩槻支台と鳩ヶ谷支台間の低湿地帯に該当する当地ですが、日光御成道は綾瀬川堤防上を通っています。綾瀬川の主な河岸 綾瀬川は水運が盛んでしたが、この水運は江戸川のような広域的な物流幹線と言うよりは、幕府・旗本領の多い穀倉地帯である綾瀬川流域の年貢米...

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赤山領について - 伊奈忠治の領地開発⑤綾瀬川 瓦葺掛樋-古簀子橋

立合橋 埼玉県蓮田市蓮田/上尾市瓦葺 立合橋は瓦葺伏越(瓦葺掛樋跡)の傍に架かる橋ですが、この辺りの綾瀬川左岸に大正時代まで蓮田河岸がありました。右岸の瓦葺には見沼通船の会所があり、乗客・積荷の運賃の徴収を行っていましたので見沼通船と綾瀬川舟運間で荷の積み替えが行われていた事でしょう。 見沼代用水は、享保13年(1728年)に開削されれた用水路ですが、新田開発のために干拓される見沼溜井(見沼用水)の代用...

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赤山領について - 伊奈忠治の領地開発④綾瀬川 起点-瓦葺掛樋

備前堤 埼玉県桶川市小針領家  関東代官頭の伊奈忠次は鴻巣領及び小室郷13,000石を領していましたが、慶長年間(1596-1615年)頃から鴻巣領の開発が本格化し、備前堤直上流の舎人新田の開発は元和 9年(1623年)から開始されています。備前堤は、綾瀬川流域の新田開発と荒川からの溢水の流入を防ぐために慶長15年(1610年)頃築造され、綾瀬川を荒川(現・元荒川)から締切・分離しました。この締切堤が綾瀬川の起点となり現在に...

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赤山領について - 伊奈忠治の領地開発③綾瀬川-備前堤

 関東造盆地運動による加須付近の沈降により、入間川筋(荒川断層)を流れていた利根川、荒川が加須低地の沈降部に流路を変えていますが、綾瀬川は大宮台地を割入るように流れています。 綾瀬川断層は、埼玉県鴻巣市-千葉県市川市に存在する活断層で、世界第一級の断層である中央構造線の一部がこの綾瀬川断層付近まで延びているとする研究もあります。 綾瀬川はこの断層による窪地に流入し、大宮台地を浸食して綾瀬川低地が形...

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赤山領について - 伊奈忠治の領地開発②関東代官頭(郡代)

家康の関東移封:関東代官頭 天正18年(1590年)の小田原征伐後、家康は関東に領地替えとなりました。この際、伊奈忠次、大久保長安、長谷川長綱、彦坂元正が代官頭に任じられ土地台帳の作成を行なっています。関東250万石のうち、100万石は家康の直轄領(御領)となりましたが、この4名が関東代官頭として直轄領の事務差配を一任されています。 大久保長安は、慶長8年(1603年)に所務奉行(後の勘定奉行)に任じられ、同時に年...

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