艦これアーケード/街道・水路歩き たけやん/ひなたの日記帳

ゲームプレイ&探索記録と考察を少々

【越谷市39.5℃】伝右川・男女土橋について【猛暑に注意】

 七月作戦期間はゲーセン通いで運動不足でしたので、街道・水路歩きに勤しんでいましたが、帰宅してからニュースを見て驚きました。熊谷市なら猛暑の常連ですが、越谷市でこの気温は初めての事です。フェーン現象の北風とヒートアイランド現象の南風にサンドイッチされましたね。綾瀬川・藤助河岸(蒲生の一里塚) 埼玉県越谷市蒲生愛宕町 確かに河川沿いに吹いていた江風はエアコンの室外機の前に立つような熱気でした。男女土...

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【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 索引

世界の歴史まっぷより引用 時期は概ね③江戸城無血開城により江戸城引き渡しが行われていた、慶応4年(1868年)3月から4月(旧暦)です。甲州勝沼の戦い【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 甲府盆地について【甲州勝沼の戦い①】【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 甲州街道:甲府城へ至る道-時間と距離【甲州勝沼の戦い②】【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 ...

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【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 番外編 【元荒川旧流路③間久里川】

間久里川 間久里川は、須賀用水の旧流路ですが、数次の変遷により現在は越谷市の管理する都市下水路となっています。 慶長年間(1596~1615)に掘削された須賀堀の流路は、宝永年間(1710年頃)元荒川流路締切り以前の元荒川左岸沿いに掘削されていますが、明治42年(1909年)から大正5年(1916年)にかけて実施された新方領耕地整理事業により直線的な流路に改められています。この際、旧流路は須賀用水の支川となり、間久里川と...

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【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 番外編 【元荒川旧流路②須賀用水】

須賀用水 須賀用水は、慶長年間(1596~1615)に形成された末田須賀溜井より新方(にいがた)領の用水として引かれたと伝えられます。この頃は元荒川が袋山で蛇行して流れていましたのでその外周に沿って引水していましたが、明治42年(1909年)から大正5年(1916年)にかけて実施された新方領耕地整理事業により直線的な流路に改められています。また、同じく慶長年間に掘削された新方川は、かつては千間堀と呼ばれ、新方領の重要...

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【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 番外編 【元荒川旧流路①】

 江戸時代初期まで隅田川(現・大落古利根川-古隅田川-元荒川-中川-隅田川)は、武蔵国と下総国の境となっており、越ヶ谷周辺の元荒川では支配勢力の違いから元荒川右岸に久伊豆神社、元荒川左岸に香取神社が分布して決して交わらないという規則性があります。元荒川〆切橋付近の国土地理院地図 大竹神社の創建年代等は不詳ですが、江戸時代初期に大竹村が開発された際に下総国一宮である香取社が勧請されたとされます。明治6年...

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【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 流山村⑥【加村陣屋の対応-救援要請③大枝村】

越ヶ谷宿本陣・脇本陣跡 埼玉県越谷市大沢 加村陣屋の田中藩士が新政府軍に救援を求めて越ヶ谷宿に到着した際には、既に新政府軍は越ヶ谷宿を出発していました。 新政府軍は、慶応4年(1868年)4月2日に宇都宮城を目指して千住宿を出発し、同日越ヶ谷宿に着陣、翌3日、古河宿に向け出発しています。加村陣屋の使者は新政府軍を追って日光道中を北上します。奥州古道の道標 越谷市北越谷 旧大房村の元荒川左岸堤防上に鎮座して...

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【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 流山村⑤【加村陣屋の対応-救援要請②越ヶ谷宿】

吉川橋 元荒川-中川合流地点 埼玉県越谷市東町 中島橋からの撮影ですが、往時は、南百村の領域です。吉川橋の位置に「かごの渡し」と呼ばれる渡し場が設けられていました。呼び名は徳川家康が鷹狩の際に船でここから上陸した事に由来します。 往古の東海道から奥州に至る道は、千住から堀切-亀有-金町-松戸に至る経路だったようですが、隅田川自然堤防上を辿るルートの千住-大原-八条-南百-越ヶ谷-粕壁から幸手で日光御成道(...

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【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 流山村④【加村陣屋の対応-救援要請①】

鎮撫隊流山布陣 慶応4年(1868年)4月1日後夜半に五兵衛新田を出発した近藤ら甲陽鎮撫隊ですが、早朝には丹後の渡しから流山に到着、旅装を解くと取り急ぎ布陣を整えます。 飛地山に野砲を据え、流山村の中心部に本陣を布いた幕府鎮撫隊の出現に、隣の田中藩加村陣屋の藩士たちは大いに驚きます。加村陣屋の対応 甲陽鎮撫隊の到着した4月2日には、加村陣屋から救援要請の使者が新政府軍に対して送られています。既に新政府軍の...

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【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 流山村③【加村陣屋の対応】

ましや呉服店 千葉県流山市加6丁目 呉服店のましや(増屋)は安政6年(1859年)の創業で、それ以前は酒造業を営み文政11年(1808年)の記録が残っているそうです。店舗部分は大正12年(1923年)の関東大震災以降、防災及び街路の拡幅のため、街路建築(看板建築)様式に改造されています。この建築様式は現在も旧街道筋に多く見られますが、近年急速に減少しつつあります。土蔵部分は明治3年(1872年)に建てられたものです。流山街道...

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【街道攻略】大久保大和(近藤勇) 敗走と板橋までの道程 流山村②【新政府軍の対応-宇都宮派兵】

世直し一揆武州北部及び上州における世直し一揆 元治元年(1864年)に京都で禁門の変が起きると、諸藩が有事に備えて米を備蓄するようになり、豊作でも米が流通しないという事態に陥るようになります。長州征伐の決定によりこの傾向は拍車がかかり、全国的に米価が上昇します。これにより、町方では打ちこわしが、在方では一揆が頻発するようになりました。特に慶応2年(1866年)の第2次長州征伐中と同4年(明治元年・1868年)の...

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